思い出の場所へ〜please come back!〜

「ショートケーキと苺のタルトまだですかー?」
「後3…いや2分待って!!」
「仁くーん、カルボナーラ一個追加ー!」
「OK!」
「紅茶のホットにブレンド、ブルーベリータルトにフランボワーズですね、かしこまりましたー!」
ここは昼時を過ぎ、世間では3時のおやつと呼ばれる時間帯。喫茶店ファミーユの中は、昼間と同じくらい盛況だった。
「おなかへったぁ…仁ー」
「ええい、つべこべ言うな!」
「由飛ちゃん、3番さんのオーダーお願い!」
「ううぅ…はーい。」
ということで、残念なことに昼飯を食べる時間までもなかったのである。


「ありがとうございました、またお越しくださいませー。」
明日香ちゃんの凛とした声が響いて最後のお客さんが出て行く。時間は春一歩手前の帳の降りた頃。
「はぁぁ…何なのよこの忙しさ……」
「変わってないと思うんだけど…」
「明日香ちゃんが入るまでも地獄、入ってからも地獄。なんでこんなに人気なのよ…」
「かすりさん、それはむしろ喜ぶべきところだよ…」
「そうそう。かすりちゃんのものも売れてるんだし。」
姉さんの声もどこかうれしそう。まぁこの人は甘いもの作ってれば疲労を感じない奇特な人だし…
「とりあえず清掃して、明日の準備しなきゃな。」
「その前に何か食べさせて…死にそう。」
「仁ー何か作ってー。」
…いや、俺も何も食ってないんですけど。
何とかかすりさんや由飛を動かして閉店後の一連の作業を終えると、もう10時ごろ。基本的に仕込みは夜やってくからなぁ。
「しかし、これじゃあ結構みんなきついよなぁ。」
「そうね。私はとにかく、かすりちゃんと由飛ちゃんが…」
そう、我がファミーユの最大の問題点といえば、フル活動できるのが由飛とかすりさんと姉さんだけなのだ。特に平日。
俺は里伽子のこともあって大学にちょくちょく抜けていくし、明日香ちゃんは高校生なのでもちろん学校がある。終わりは3時で、どんなに急いできてもファミーユまで30分。実際に入るのは4時から。それまでフロア2人、厨房1人、フロア兼厨房が1人だったり、フロア2人、厨房1人だったりして…とどのつまり、人員不足が明らかなのである。
「これ、一人でも休んだら地獄よね…」
「ああ…」
特に、マルチな活躍を見せるかすりさんが休んだ日にはたまったものではない。正直、頑健なのが救いだ。本当に。
「帰って、ちょっと相談してみるかな…」
「リカちゃんに?」
おそらく、またあいつは俺を待って飯を食ってないんだろう。
「いいよねー仁くんは。あーあ、私も誰か欲しいなー。」
いや、兄ちゃんのことだろそれ。
「とりあえず、かぎ閉めるぞー」
「あ、ちょっと仁くんたらー」
この人達の話題に乗ってたらいつまでたっても帰れなくて、里伽子から怒りのテレフォンがかかって来そうなので、切り上げて家に帰ることにした。
…実際一度あったのは秘密だ。
「はぁー、リカちゃんが戻ってきたらもうちょっと楽になるのかなぁ。」


「あーん。」
「あーん。はむっ、ん…今日もよく出来てる。」
「いつも味見してるんだろ?」
「当たり前じゃない。私も食べるんだから。」
後ろからそっと抱きかかえて、雛の餌付けのように里伽子に食べさせる…利き手が動かない里伽子がちゃんと食べれるように俺が考え出した方法だ。今ではすっかり当たり前になってしまった。
「お、これもうまい。」
本当に器用なやつだ。右手一本でここまでちゃんと作れるあたりがえらい。…まぁ、必要に迫られて考案したんだろうが。
相も変わらず俺が食器を洗った後に、風呂を入れる。…この後のことを考えると、ちょっとどころかだいぶ緊張するのだが。
「ふぅ。」
「で、何か悩み事があるの?」
「なっ……!」
「あんたは単純だからすぐわかるのよ。」
ぐうの音も出ない。さすが里伽子。
「いや、人員の件なんだけどさ…」
今のファミーユのことは一番よくわかっている里伽子に、詳しい説明なんて不要だ。
「そうね。私も兼ねてから増強した方がいいと思ってる。」
「っていうか、増強しなきゃならんのだけどな。」
「どうして?」
「明日香ちゃん、さすがに来年働かせるわけにはいかないだろ?」
「あ…そうか、あの子もう受験生だもんね。」
「そう。で、即戦力が欲しいってわけだ。」
「それは難しいわね。」
「だろ?」
即戦力はそう簡単に見つかるものではない。まぁさすがに由飛ほどの人が来るとは思えないが、それでも今の忙しさを考えると、人を育てる余裕は…ギリギリか。
「とりあえず、募集かけてみたら?人が来ないことには始まらないよ。」
「そうだな…。」
さしあたっては、またビラ配りかな。雑誌に掲載料払ってるほど余裕もないしなぁ…。
うまく話題を持っていったところで、さりげなく本題を切り出す。
「ああ、そうそう。皆が早くお前に戻ってきて欲しいって言ってた。」
「…ふぅん、そう。でもそれは無理ね。」
こいつがファミーユに戻ってこなかった理由の一つ、利き手の自由が利かないこと。
「そうそう。でも俺それ結構いい意見かなって思ってさ。」
「…あんたが一番私の現状を知ってるんでしょうに。」
「ああ、わかってる。お前の能力の高さも。」
そうじゃなきゃ、ファミーユのチーフにして参謀とは言われんだろう。
「大体、働けるなら仁に誘われたときに快諾してたよ。」
そう、ブリックモールに出店することを決めたとき、けんもほろろに断られた。
「うっ…」
「戻ったところで皆の負担増やしたら本末転倒。人が足りてないって言うのに、これ以上負担を増やす気?」
「………」
いや、そりゃ里伽子の意見が正しい。
「情で動いたらロクなことにならない…仁に頼まれたことって特にそう。」
「ぐっ…」
まったく否定できないどころか、むしろ肯定したくなる…。
「ほら、そこでへこんでないで、人員募集の手立て考えよ?」
「ああ、そうだな…」
結局、俺たちが風呂に入れたのは、0時を回って、一時になろうかという頃だった。


「いらっしゃいませー。三名様入りまーす!」
「はーい!」
ファミーユは今日も喧騒の真っ只中。ここ最近雑誌にキュリオと並んで載せられたりしたせいか、ケーキはもとより、仁の卵料理にも注目が集まり始めた。普段ならそこまで忙しくないはずの真昼時や夕方から夜にかけての忙しさは倍増した。無論、ケーキも同様に。
「あーもう!いつまで作れば終わるのよー!」
「それはこっちの台詞かすりさん!」
このファミーユ唯一のシェフ(注・卵料理に限る)は、この忙しい中でも明日のことを頭に思い描いていた。主に筋肉痛への懸念が九分九厘を占める。
そしてファミーユのメインパティシェールこと、恵麻は相変わらずケーキ作りに没頭していた。その横で着々と出来ていくケーキのデコレーションを担当しているのはサブパティシェールのかすり。残念ながら今日はかすりの作品を焼いている暇がない…ここ1週間ほどは特に。
フロアに入っているのは由飛と明日香。残念なことに余裕をかます暇もないが、由飛の歌は鳴り響いている。もっとも、忙しさから小さな声になっていて店内には響いていないが。
「オーダー入ります!」
「明日香ちゃんこれ3番さん!!」
「ちょっとまっててんちょ、6番さんが先だから〜!」
…やっぱり、人材不足だ。
この言葉が浮かんだのは多分、この店内にいるファミーユのスタッフ全員に違いない。


「………お、お疲れ。」
「俺、そんなにひどい顔してる?」
「………(こくり)」
我が家のドアを開けてみると、いつもどおり里伽子が出迎えてくれたのはいいのだが、その里伽子が今日の夕食を持ったままリビングで硬直してる図はなかなか珍しい図だ。
…残念なことに、その珍しい構図を楽しむ気も起きない。
「ひ、仁?」
「ああ、っていうかそのなんかおびえてる小動物みたいな呼び方はやめてくれ。」
「だ、だって…、鏡見た?」
「今から見る…………地獄の亡霊?」
「言っちゃいけないと思うけど、多分そう。」
「これまでのリアクションを考えるとそこで否定されるほうが痛いかも。」
「ならそうね。」
「…肯定されても痛い。」
洗面台で顔を一つ洗い、我が家の食卓に向かう。
「仁、今日はいいよ。」
「何が?」
「早く食べて早く寝たらってこと。別に私は時間かければ食べられないこともないし。」
確かに。明日の筋肉痛が心配だ。卵料理は繊細な動作が必要だから、筋肉痛一つで手元が狂ったらおじゃんだ。
「でも、俺は約束したから。」
そういって里伽子の後ろに座る。いつもの位置。
「もう、しょうがないなぁ、仁は。」
「じゃあ、そのしょうがないついでに一つ頼まれてくれ。」
俺にしては珍しく、すらすらと言葉が出てきた。
「なに?」
「ファミーユで注文取りやってくれないか?」


長い沈黙の後、里伽子が一つため息をついた。そして、仁の方を見ないままに切り出した。
「この前言ったこと、覚えてる?」
「あー…忘れた。」
「だったら…「いや、言わなくていい。」…え?」
そのまま里伽子を制して、俺は続けた。
「雑誌とかに紹介されて、人が多くなってきてる。しかもテレビの紹介まで下手したら来るかもしれない状況で、正直この人員でやりくりするのは厳しすぎる。」
「わかってるなら…」
「この前ははっきりとは言わなかったけど、これはれっきとした店員全員の総意なんだ。」
「………」
そう、人員が足りないことを話していたとき…
『仁くん、リカちゃん戻ってこないの?』
『いや…ちょっとあいつは…』
『何かあるのね仁くん!』
『てんちょ、そういうことはちゃんと言おうよ〜』
『そうだよ仁〜』
という会話の流れになって、結局里伽子の現状について洗いざらい説明させられてしまった。利き腕である左腕が動かないこと、今はリハビリに通っていていつか動くようになること、里伽子がファミーユに戻ってきたがっていること…最後のは、あの日に打ち明けてくれた里伽子の内に秘めた思いだから、話すことに戸惑ったが…プレッシャーには勝てん。
『じゃあさ、リカちゃんに戻ってきてもらおう!』
『かすりさん、話聞いてました?』
『うーん、そうだね。てんちょがんばってみてよ。』
『あ、明日香ちゃんまで?!』
『注文とるくらいならいいんじゃないかな。リカちゃん記憶力いいから。』
『誰が書くのさ?』
『え?仁じゃないの?』
『……そうだなぁ…』
以上、あの夜の話でした。
ちなみにこの夜の話を忘れられない訳は、里伽子復帰策を延々と練っていたらサイレントに設定したのをすっかり忘れていた携帯に里伽子からの電話(着信履歴によると20回目)がかかってきて、
『どれだけ心配してると思ってるのよ!!!』
という怒声を聞いたからでした。俗に言う里伽子真剣ギレ事件…って犯人俺だけど。
「まぁ、そんなことがあったんだ。」
後ろから見てもわかる、明らかな『呆れた』里伽子は、小さな声でつぶやいた。
「…はぁ。どうしてこう私の周りにはこんなのしかいないんだろう。」
「いや、板橋店長はともかく明日香ちゃんやかすりちゃんや姉さん捕まえてこんなのって…」
由飛は…まぁいいや。
「と、言うわけで里伽子、店長として、高村仁としてお願いする。…ファミーユに、戻ってきてくれないか?」
頭を下げた。
「はぁ。もう、しょうがないなぁ、仁は。」
「え……」
顔を上げると、里伽子は、俺のほうへと体を向けていた。
「でも仁、一つだけ言いたいことがあるの。」


“その言葉、結婚するときにも言って…ね?”


Re-startのキスは、やわらかくて甘くて…少しだけ、水の感触がした。