混迷の度合い〜comfuse me〜

きっと誰もが待ちわびていたに違いないという思いで一杯だった。いや、一番待ちわびていたのは俺か。そう考えなきゃならないのも、目の前の光景のせいだったりする。里伽子が言って、俺が受け入れたこの習慣だけど、どうも慣れないのはリミッターが外れないせいかもしれない。…以前里伽子が言った言葉の受け売りだがな。
「ん、ありがとう、仁。」
「ああ。」
この服を着て働く里伽子を見るのはもう二年ぶりなのか…いや、一年か。ずいぶんと色々なことがありすぎて、頭が追いつかないようだ。ブリックモールに出店してからわずか半年だというのに、俺の周りの環境も随分と様変わりしてしまった。…今更衣室で一緒にいる里伽子と俺の過去の行動のせいが大半を占める。
そう、更衣室に男女二人きりとか、いや、それはそれですばらしい状況だが、残念なことに今の俺達にはそんなことは二の次だ。
「帰って、これたんだ…」
そっとつぶやいた里伽子の言葉は、俺にとってやけに重みを感じさせる言葉だった。


混迷の度合い〜comfuse me〜


「えーっと、今日は日曜日だから朝っぱらから客が多くて嬉しいやら悲しいやらだからみんな死ぬ気でがんばってくれ。」
「うわー、すごい投げやりな態度だねー。」
「てんちょ、それはどうかと思うよ…。」
毎日顔をあわせていると、朝礼も何かとどうでもよくなってしまう。基本的には何か変わったことがあったときにはそれを伝え、そうでなければ特になしで終わればいいのに。
「あと、明日香ちゃんが3月31日付けを持って解雇ね。」
「そうなのよ。寂しくなるわねぇ…」
「でもさすがにその役に立たないからクビみたいな発言はどうかと思うよ。」
すまんかすりさん、残念ながら心ここにあらずなんだ。うん。
「ええっと、それはまた後でいいから。てんちょもうずうずしてるし…」
「そうだよねー。」
「そうそう。」
「うんうん。」
…そのあからさまな視線はなんですか?
「じゃ、じゃあ明日香ちゃんの一時退職に伴って、新しく雇ったので、雇った人の紹介に行きたいと思います。」
そして、かすりさんと姉さん、明日香ちゃんの前に姿を見せた。
夏海里伽子です。またチーフとしてファミーユに戻ってきました。よろしくお願いします。」
「リカちゃんおかえりー!」
「里伽子さんお帰りなさい。」
「里伽子さんお帰りー!」
「リカちゃんおかえり。」
うーん、何とも涙が出そうな帰還シーンだ。あっ、ちょっと熱いものが…
花鳥玲愛です。初めてなので色々とわからない部分があると思いますが、よろしくお願いします。」
………どーしてこうなったんだっけ?


あれは三年前…間違えた。そう、約3日前の話だ。随分と古くない話だけに鮮明に残ってるのはありがたい。
「はぁ…。」
「はい。」
「お、せんきゅ。」
家でどうにもこうにもいやーな問題を抱えていた。さしずめ線形代数の難問を抱えているかのように…って知らんがな。
「もう、しょうがないなぁ、仁は。どうしたの?」
やべ…それを聞くだけで癒される自分がいる…案外重症?
「いやさ、肝心なことを忘れてたんだ。」
「何?」
「明日香ちゃん、今月一杯で辞めるんだった。」
「………はぁ。」
うわ、あからさまに『使えない店長』って言う風に俺を見るのはやめて。
「さすがに受験生だしな。無理はいえないさ。」
「仁がいう言葉にしては似合わないね。」
……えーえー、どうせ俺は大学休学しようとしてまでこんなことやってますよ。
「して困った。今からバイト募集しても…」
「集まるかもね。幸いファミーユは小難しいことやらないから、新人教育も……する人いないね。」
さすが里伽子、気づいたか。そうなのだ。明日香ちゃんがやめるまで日にちも少ない。かすりさんも厨房で忙しかったりするし、今募集かけても入るのは早くても…月末だろう。
「とりあえず募集広告出して。人が来ないと何ともいえないから。」
確かに。
ピンポン
「誰だ?こんな夜中に。」
そして扉を開けると……
「………何やってんの?」
「呼び鈴鳴らすのに理由のある行動が要るの?」
「理由がなきゃならさんだろう?」
会話はそこで途切れて、固まってしまった。


「………」
「ふぅん、人が足りないんだ。」
「ああ。そっちとは違って少ない人手でやりくりする名人だからな。」
「単に財力がないだけでしょ?」
単刀直入。ズバリ。
「しょうがないだろう。本店再建のことも考えたらこれで精一杯なんだ。そうだろ、里伽子?」
「そうね。」
「…よくやるわね。」
「ああ。今は目的が変わってるけどな。」
「はぁ?本店再建が目的じゃないの?」
「うーん、それは道の途中かな。」
そう、本店再建も今は道の途中。その先も当たり前だけど続いてる。それは俺が知ってればいいことだけど。
「へぇ、大変ね。まぁせいぜいがんばってね。」
「そういうお前は何が目的でキュリオに勤めてるんだ?」
………
あれ、ここは得意げに胸を張って言い返す場面じゃないのか?
「花鳥?」
「な、なんだっていいでしょ!」
まぁそうだ。こいつが俺のプライバシーを詮索する権利がないのだから、俺もこいつのプライバシーを詮索する権利はない。
「帰る。」
「いや、……っていうかお前何しに来たんだ?」
「っっ!…な、理由が要るの?!」
いや、だから呼び鈴を鳴らすのは用事があるからならすんであって、そうでないのはピンポンダッシュとか所謂迷惑行為だからな。
「そりゃ…っておい!」
俺が言い返そうとした時には、玄関のドアは近所迷惑な音を立てて閉まっていた。
「…わからんな。何しに来たんだあいつ。」
俺が首をかしげている横で、里伽子はずっと何か考えている様子だった。
「……うまくいけるかも。」


そして今日に至るわけだ。実際、店長のはずの俺でさえも里伽子の服を着せ終わるまで知らなかった。そんなんだから総店長である姉さんなんか目を丸くしてる。…いつから人事課人事部長になった、里伽子よ。いや、花鳥が入ってくれるのはありがたいけど。
「………」
「………」
「………」
「………」
「あー、それともう一人。花鳥玲愛さんね。」
意を決したようにかすりさんが口を開いてくれた。
「あー仁くん、ちょっといいかな?」
「最近人事裁量が里伽子に異動してね。」
「…店長の意見0?!」
姉さんなんかまだリカバリしてないし。ああ、由飛なんか当然のごとく。
「えっと、よろしくね、玲愛さん。」
「ええ、よろしく。」
さりげなく里伽子に視線を送っても、帰ってくるのはいつも通りの視線だった。
っていうかこの二人はほっといたらいつまでも固まってそうだな。
「はい、じゃあ今日明日は7人態勢になるので、フロアは花鳥「…玲愛」………玲愛と由飛、明日香ちゃんで。厨房は俺とかすりさんと姉さんが入ります。里伽子の役割は明日香ちゃんと由飛に説明してあるから。以上!」
三々五々散っていく……いや、姉さんは俺が押してるけど。由飛は明日香ちゃんが押してるし。
「姉さん、開店だからほら。」
「仁くん、これはどういうことなのかしら。」
「本当に俺に聞かれても困るんだよ、姉さん。それに戦力にはなるから。」
「それはそうだけど…でもリカちゃんの独断専行なんでしょ?」
「まぁ…な。規律には問題あるかもしれないけど、里伽子は間違ったことはしないし。」
姉さんも納得してくれたようだ。後で里伽子から事情を聞きだして伝えることを約束して、姉さんは仕事に移ってくれた。
「でもさらりとノロケられたような気がするのは気のせいかしら?」
「気のせい気のせい。」

「おつかれ、仁。」
「ああ。でも里伽子、どういうことだ?」
「何が?」
「れ……花鳥のこと。」
「早速店員に手を「出してません。」…ごめん。」
いや、あの赤い人のプレッシャーには負けるんですよ。
「で、どういうわけだ?」
「何が?」
「……シラ切る気満々だな。」
こうなった里伽子を落とすのは非常に難しい。さすがは理想の低い才媛。…いや、俺の中では満点ですが。
「まぁ、それなりに色々とあったのよ。」
……それなりに色々、で片付けられてもなぁ…。
「明日香ちゃんいなくなるし、ちょうどいいでしょ?」
「逆に一人増えた感じがしてかなり。」
さすが2.5人分。さらにフルタイム。ああ、念願かなったり。
これ以上言っても無駄だと感じ、里伽子の入れてくれたコーヒーを飲みながら、今月の収支状況を見始めた。里伽子がシャワーを浴びると言ったので、当然のごとく、里伽子の服を脱がす。
「そうね。」
突如、何も身にまとっていない里伽子がふと立ち止まり、一言つぶやいて俺のほうを向いた。
「さっきの質問の答えだけど、」
「ああ。」
「隣にいて欲しい人を賭けた勝負、かな。」
そういうと里伽子は浴室へと消えた。
後に残されたのは、その台詞がまったく理解できない、俺。
「なんなんだ、一体。」
少なくともわかったことは、今後色々大変だと言うことだけだった。