Classic Love(遥かに仰ぎ、麗しの・仁礼栖香)

日本の夏というのはとかく蒸し暑い。雨季の東南アジアと比べたくなるかもしれないが、多分それは東南アジアさんに失礼だ…って誰だ、東南アジアさんって。
「…いかんな、どうもいかれてる。」
一つ呟いて、手を止める。クーラーのない、扇風機だけのボロアパートで一人愚痴ってるあたりもう危ないような気がする。待っててくれじぃちゃん…ってじぃちゃん死んでない…はず。
セミが忙しなく鳴く夏も、夜になれば多少静かになる。この部屋も僕が口を閉ざせばあっという間に扇風機の音と、予備校の仕事をしている僕のペンが動く音しかしない。
その時、木の扉がノックされた。
「司さん、いらっしゃいますか?」
その声を聞くたびに、僕はどうしてか春が待ち遠しくなるのだ。


Classic Love


一年勤めた凰華学園を去るのはなかなか未練がましいものがあったが(と言うと必ず栖香が拗ねるので口が裂けてもいえないが)、こうしてまた大学生活と同様な生活に戻ると、何だかほっとした。そう、あそこはパライソだったんだと言う実感が沸く。
「司さん、夕食はまだですよね?」
「ああ。久しぶりに栖香の飯が食いたかったんだ。」
「も、もう。すぐそうやって…」
きっと見えない顔は真っ赤に染めているに違いない。言ったことは偽らざる本心なんだが、後姿でもそのエプロン姿にそそられる2×歳。とくにほっそりとした足首とそこから映えるふくらはぎとか肌のきめ細かさはもう筆舌に尽くしがたい。うぃ。

そんなことに気づかずにいてくれるのかそうでないのかはともかく、栖香は鼻歌交じりで料理をしていた。
仁礼栖香は今はなき仁礼グループの長女である。今はなき、と言うのは言葉のとおりで、最早『桜屋敷』と呼ばれる荘厳な和風屋敷以外に何もない。それ以外にはなんら普通の子と変わりない。
そんな彼女と紆余曲折あってこうして付き合いだして―しかも結婚を前提に―もう半年を過ぎる。本当は一年なんだが、あの頃は本当に付き合っていたかと言われると何とも言いがたい。やはり、栖香が家族と本当にわかり合えた時からがきっと僕たちのスタートだったと思うのだ。僕のひとりよがりかもしれないけど。
そうして栖香を見続けていたら、いつの間にか時間がたっていたのか気づいたら栖香が料理をテーブルへと持ってきていた。
「司さん、出来ましたよ。」
「うまそうじゃん。」
と、つまみ食いしようとした手をはたかれた。
「司さん、お行儀悪いですよ。」
「くっ、さすがは栖香。育ちが違う。」
「育ちとかそういう問題ではありません。もうちょっと待っててください。」
そういうと栖香は残りの皿を持ってくると、しゅるりとエプロンを脱いだ。
…正直、ちょっと残念とか思いました。

食事が終わると、二人で食器を洗う。その後は、受験生の栖香のために勉強をみてやる。最も、歴史しか見てやることは出来ないんだけど。
「司さん、それでここは…」
「ああ、そこはね…」
そう、今日も寄ってきた用事は勉強のためである。何もこの音が筒抜けの家であーんなことやこーんなことだけをやりにきているのではない…断じて否。
その時、ふと栖香の目が気になった。
「こういう時の司さんって、絶対に変なこと考えてます。」
ぐはっ!ストレートに胸をえぐられる。
(胸がえぐられるだとー!!!!)
聞こえないはずの声に、あわてて周りを見渡す。
「つ、つかささん?どうかなさいました?」
いや、幻聴だ、幻聴に違いない。二・三回深呼吸をすると、栖香の方に向き直って大丈夫と一言告げた。
「そうですか。それならよかったです。」
…栖香の仕草にはいつもドキドキさせられる。いつものこととはいえ、慣れない。
「やっぱり慣れないな。」
「あ…あの、わたくし何か…?」
その戸惑った顔で心臓は急加速。もう落ち着きとかどっかに吹っ飛んだ。
「あ、いや、栖香は関係ないしこの家が狭いのは慣れてるしそもそもそのすらりと見える生足はもう貪りつくしたから大丈夫!」
って僕ナイスに自爆してるし!!気づいたときには自己嫌悪。ああ、冷静さってきっとあの学園に入ったときに置いてきたんだろうなぁ…とか、栖香と顔をあわせられない中、くだらないことを考えていた。

そんなこともあって、結局今日は思うようにはかどらなかった。
「ごめんなさい、司さん。」
「いや、栖香が謝ることじゃないし。」
むしろ原因100%僕なんです。
「こ、今度はその…なるべく足を見せないようにしますから…」
「それは困る!」
…いや、えーっとそもそも私めの煩悩が原因です。はい。
だが、栖香はくすっと一つ笑みを浮かべた。僕も釣られて笑った。
「また、屋敷の方にも顔を出してくださいね。」
「明後日には行くよ。」
「お待ちしています。それでは司さん、おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ。」
そっと栖香を抱き寄せると、軽い口付け。
満開の笑みを浮かべると、栖香は会釈して去っていった。
そう、これが僕らの日常。人に言わせたらClassicと言われるようだけど、それでも僕は十分に満足していた。今は栖香が隣にいてくれれば、それで。