月明かりに口付けを〜Kiss me in the moonlight〜

気づいたら、夏休みも過ぎた。俺は、以前と同じように、生徒会室で生徒会の仕事をやっていた。
「さて、今日の議案は体育祭ね。」
「おっ、やってきたねぇ。くーぅ!体育祭といえばブルマの宝庫!かぁーっ!天国天国!」
「あんたはいっつもそんなことばっかり…!!」
「ぐぉぉぉぉぉ!!死ぬ、死ぬー!」
「……あれが直れば結構いい男だと思うんだが。」
「うん、そうだね。」
そこにいる人に、ただひとつを除いて変わりはない。
「まったく。あ、そうそう、私的で悪いけど、雄二、英語の実テ見せなさいね。」
横で顔から血をなくしていたりするが、それはそれだろう。
「さて、じゃあ今年の種目についてなんだけど……」
あれから、生徒会長はタマ姉が勤めてる。元々前会長の懐刀として(まぁ、これは俺の一方的な決め付けだが)腕を振るってきたタマ姉だ。様になってる。
そうしたらタマ姉は俺を副会長に指名してきた。このみは会計、雄二は書記だ。ずっとやってきたから、別にいいんだけどね。
「じゃあそれで行きましょう。タカ坊は何かある?」
「いや、特にないです。」
「ならいいわ、日も暮れてきたことだし、そろそろ終わりましょうか。」
タマ姉が立って、誰もいなくなった席を見つめる。あの人は、今は何をしているのか。
知っているのに、つい考えてしまった。


家に帰ると誰もいない。両親はあの後、海外へまた行ってしまった。信頼してくれてるのか呆れてるのか、それは定かではないけれども、確かなことはただひとつ、終わらなかったことだった。
そう、まだ終わってない。
「さて、バイトに行きますか。」
今日もバイトだ。そこから疲れて帰ってくると大抵は午前1時近く。学校の授業もまともに聞いて生徒会をやるのも結構厳しいが、休日でそれは調整してる。最も、生徒会の行事で潰されることはあったりするんだけど、タマ姉は気を使ってくれている。本人いわく
「確かにライバルはいなくなったけど……その隙を狙うなんて、アンフェアだわ。」
との事だけど、何のことやら俺にはさっぱりわからない。タマ姉にもわからなくていい、と言われた。
バイトは何故か雄二が斡旋してくれた。きついけど、時間の割に給金が高い。どこでそんなバイトを見つけたんだ、と聞いたが、はぐらかされるばかりだった。何か裏があるに違いないのだが。
そんな日々は冬休み前まで続いた。その間ずっと俺は英語だけ勉強をしていた。自分の欲望のためだけに、ずっと。
Pill、Pill、Pill
家で最後の仕上げといわんばかりに英語を勉強していたときだ。電話が鳴った。俺には、それが誰なのかわかっていた。
「はい。」
「コールセンターです。久寿川ささら様からお電話が…」
「つないでください。」
「わかりました。それでは、どうぞ。」
オペレーターの声から、俺が一番聞きたかった声に変わった。
「もしもし?貴明さん?」
「ささら?元気にしてる?」
日本とニューヨークの時差は14時間。日本が午前9時なら、ニューヨークは午後の7時だ。当然、なかなか電話で話したくても話せないわけで。
「一週間ぶりね。」
「ああ、そうだな。」
俺が学校が休みのとき、つまり日曜日にしか話せない、というわけだ。最も、国際電話は高かったりするので、これでも多いぐらいかもしれない。
「そっちはどう?何か変わったことでもあった?」
「いいや。…そういえばこの前雪が降ってさ。」
「そのニュース、こっちでもやってたわ。すごく積もってたの?」
「ああ、今も積もってる。そっちは?」
「こっちは寒いけど、雪は降りそうにないわ。」
「そっか。で、いっぱい積もったから、いつものメンバーで雪合戦をしたんだ。そしたらタマ姉がさ……」
いつも、どっちかが浮かれて話してた。先週と先々週はささらが学校であったことを。その前は俺が文化祭の成功の話を。
逢いたい、という感情を紛らわすためだったのかもしれない。そして、ささらが電話をかけてくるときはいつも、ささらの夕食前だった。
それはつまり、
『ささらー、夕食出来たわよ。あらあら、河野さんと電話中だったかしら?』
こういってもらわないと、電話を切れないことが俺にもささらにわかったから。
ちなみに最初のほうはそれに気づかなくて、電話代でささらが大目玉食らったとかいう話をされたときにようやく気づいた。ずっと声を聞いていたい。そう思ってしまうから、二人とも電話が切れないのだ。何か話して、どうにかして二人を物理的に近づけようとして…それは無理なはずなのに、そう幻想して。
「お、お母さん!もう!…じゃあ貴明さん、また。」
「……ああ、またね。」
愛してる、とか、好きって言う言葉は、絶対に出てこなかった。そんなこといわなくても、わかっていたから。
「あ……貴明さん」
「何?」
「その…、宅配便でクリスマスに荷物が届くようにしておいたから……受け取ってね。」
「……ああ。あ、来週俺用事があっていないから、電話、ごめん。」
「えっ……そう」
沈んでいく声。ささらにとって、きっと俺の声は…大切なものなんだろう。一番ではなくても。
「ごめん。」
だから、そうとしかいえなかった。


受話器を置いて、母の待つ食卓に向かっても、気持ちは晴れなかった。
そんなことがあっても不思議じゃない、そう、不思議じゃない。そう思い込もうとしても何故か心の中にくすぶるものを抱えているのはどういうわけなのかを、私にも説明できなかった。
「ごめんね、遅くなっちゃって。」
「ううん、いいの。」
席についていただきます、と一言言うと、母が首をかしげている。
「どうしたの、ママ?」
「何かあった?」
「えっ?」
微笑をもらしていった。
「顔に出てるわよ。」
あわててつくろってももう遅い。
「貴明さんとなにかあったの?」
「え……えっと――来週、家にいないから電話しなくていいって。」
すごく恥ずかしい。もう、どうして自分はこうなのか。声が聞けないだけで、こんなに欝な気分になるのか。
「あらあら、それはささらにとっては緊急事態ね。」
「そ、そんなこと……ないけど。」
後半は消え入りそうに言った。通じてるのか通じてないのかはともかく、母は柔らかな笑みをしていった。
「ごめんなさい。仕事が早くかたが着くと思ったのに、まさかもう一個入るとはね…」
ひとつ、母がため息をついた。
母は私がついてきてくれることに最初は驚いていたけれど、ちゃんとわかってくれた。私達はまだ、やり直せる。そう思って私はもう一度、母についていくことを決めた。父には申し訳なかったけれど。
壊れていたものを直すのは簡単じゃなかった。半年間でどれだけ紡ぎ直せただろうか。最初はぎこちなかった母との距離感も、今では順調にいっていると思う。母も母で、あの頃を―父との日々を思い出したかのようだった。たまに父からかかってくる電話も、普通に出てくれている。それが、私にはうれしかった。
代償は、貴明さんとの別れ。それは母も気にかけていたのだと思う。11月ごろから次第に、
『冬には一旦日本に戻れるようにしたいわね。』
と口すっぱく言っていた。その言葉は……ありがたかったけど、母に無理をして欲しくなかった。
そんな矢先、12月の頭のことだった。母が申し訳なさそうに帰ってきて告げた。
『ごめんなさい、ささら。どうしてもはずせない仕事が増えちゃって……』
ひどく落胆していた。本当に、私のことを気にかけてくれているのが、本当にうれしかった。
『春は大丈夫だから、それまで待ってくれる?』
頭をなでてそう言ってくれた。
「ママのせいじゃないから。」
「ありがとう、ささら。」
そうは言ってみても、逢いたいと思う気持ちは募るばかりだった。


アメリカへ。何の迷いもなく俺はすべての手はずを整えた。
北ウイングから飛び立つ。日付変更線を超えて、NYへのフライト。俺は、間違ってないだろうか。
時差は大きい。思いっきり寝る気で乗って、本当に寝たら、すでにJFK国際空港。そこからタクシーで目的地へ向かうときには、夜の帳が下りていた。NY自体は、ライトアップされたツリーが本当にきれいだ。高層ビルが立ち並ぶ町並みを、行きかう人々を横目に、一目散へ目的地へ向かう。
このために俺はがんばってきた。だから、今君に伝えたい。
「ここ、か。」
深呼吸ひとつ、よし。
呼び鈴を鳴らした。そして、玄関の扉が開いた。
「はい、何か………」
「ごめん、遅くなったね。」
「貴明……さん……?」
「これ、クリスマスプレゼント。似合わないかもしれないけど……」
タマ姉やこのみに選んでもらった銀十字のネックレス。受け取ったささらは、涙を拭いて、
「逢いたかったっ!!」
「俺も!」
俺に飛び込んできた。
「うれしい……本当にうれしい……」
「本当は来れなかったんだ。でも、雄二がバイト先紹介してくれて……」
それ以上は言葉にならなかった。


街明かりと月明かりが二人を照らす。
シャンデリアのような輝きの街並み。その輝きに二人は照らされて、そっと、唇を合わせた。


Maybe I am not lonely. The reason is that you will be with me, forever.